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矢立峠散策!~ガイドさんの情熱と偉人たちの軌跡~

矢立自然の会にガイドをお願いし、大人6名+チビで矢立峠散策へ!!

 

当初2時間の予定が、熱心にたくさん説明してくださり、なんと3時間にわたるハイキングでした!

 

長い歴史と偉人たちの軌跡、そしてその宝を後世に残そうとする人。

 

熱い思いに、何かしなきゃと、心打たれました―。

 

 

ちょっと山に入るなり、樹齢300年、400年の矢立杉が見えてくるわけです。

歴史を感じながら歩くと感慨深い…

 

矢立杉はコブやふたまたの木があるために、商業用に切られず残されているそうです。

 

 

さて、まず見えてきたのは伊能忠敬の軌跡。1歩69,4cmで、この地も正確に歩きました。

 

 

そして吉田松陰。

 

ガイドの中村さんが漢詩をすらすらと読むわけです。

かっこいいーーーー!!感動!!!

 

沿岸部の道を歩いて青森に行くルートもあったわけですが、なぜ吉田松陰がわざわざ困難なこの峠を歩いたのか。

 

そのヒントが、この漢詩に隠されています。

 

 

『矢立』の地名の由来は、争いが大きく関係しています。

 

昔から争いの舞台となっていたこの矢立峠。

『矢を立てて戦勝祈願をした』のが由来だとか。

(他にもたくさん由来がありますが、やはり争いが関係します)

 

さらに、峠に陣を張って争いに備えたことから『陣場』。

 

兵が戦場まで長く走ったことから『長走』。

 

矢立はまさに戦場だったのですね。

 

 

美しい風景もたくさん。

 

有名な旅行家イザベラバードもこの地を歩きました。

 

「日本奥地紀行」にて、

『日本で見たどの峠よりこの峠を褒め称えたい』と、矢立峠の美しさをたたえています。

 

この「日本奥地紀行」には、白沢でどうしたこうしたの記録も残っています。

としょ木漏れ日にもこの本があるのでぜひ読んでみてください。

忘れてはならないのは明治天皇の御駐の地でもあること。

 

イザベラバード、吉田松陰、明治天皇は、としょ木漏れ日のある地にもかつて訪れました。

 

 

 

実は壮大な歴史が隠され、誇るべき自然が残る矢立峠。

 

 

「子どもたちに伝えていきたい。残さねばならない」

 

そう語るガイドさん。

 

その言葉が一番心に残りました。

 

 

誰かが残さなければ、伝えていかなければ、その価値が消えてします。

 

何気ないところにも価値が眠っている…

そう感じた散策会でした。

 

ありがとうございました!!